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【マゼヴェル】うっかり婚約してしまい、魔物暴走が始まるまでに婚約破棄しようと頑張る話

後半にいくに連れてシリアス度が下がります。

長いのでたたんどきます

 魔物暴走をなんとか乗り越えて、勇者パーティの一行もメンツが揃ってきた。マゼルの旅立ちのための準備はそろそろ終盤といったところで、俺は重要かつ下手を打つとたいへん面倒くさいことになる案件をひとつ抱えていた。
 マゼルとの婚約の件である。

 ザルツナッハ公爵令嬢による毒物混入拉致未遂事件後、マゼルと親友ともいえる関係を築いた俺は、そのままなぜかマゼルと付き合うことになった。なんでだ???

「好きです、ヴェルナー!僕と付き合ってください!」

 マゼルから告白され、あの最高の外見と中身をもって迫られて内心パニックになった俺は、とりあえずの勢いにつられて頷いた。

「え、あ、う……、うん」

 親友として何度もそれなりの近さで見ていたはずだった顔面だが、目が潰れるかと思った。満面の笑顔が眩しすぎた。あれはやばい。

 とうとう学園に入学してきたマゼルを、俺は気づかれないように注意深く観察していた。本当に勇者として魔王が倒せるのか。ゲームの主人公なのかどうか。
 マゼルの性格や行動をなるべく気付かれないように観察し、噂話も積極的に取りに行った。ただ、俺が下手に関与することでシナリオが変化するのは避けたかったので、直接関わることは徹底的に避けていた……のだが、起こったのがあの事件だ。
 ゲームのシナリオは魔物暴走が起こってからなので、学園生活は基本的に手探りで慎重に進めていたのに、あまりにもマゼルが無防備なので、つい手を出してしまった。そして毒を飲む前に声をかければよかったと、思い出すたびにちょっと後悔している。
 結果、俺はマゼルに懐かれ、そしてそれが満更でもなくてあっという間に懐に入れてしまった。俺に対して、裏のないひたすら純粋な信頼を見せてくるマゼルをどうして無碍にできようか。
 実際、仲良くなるにつれ、俺はどんどんマゼルのことを好きになっていた。
 あのゲームの主人公であり勇者でもあったマゼルは、まっすぐな性格のいかにも主人公らしいキャラだったが、それはこの世界でも受け継がれていた。
 最初は取り澄ました優等生の笑顔でそつなく周囲と付き合っていたが、俺と友人になったことでか、王都にひとり連れてこられて張っていたらしい警戒心が緩んでくると、それはもう人懐こくて笑顔が爽やかな人を惹きつける魅力に満ちたイケメンへと変貌していった。
 本人のコミュ力も高く、おおむね誰にも好印象を持ってもらえる人物がマゼルだった。
 俺としても、マゼルと付き合えば付き合うほど、その裏表のない性格に救われたり、かと思えば一緒に悪さもできるくらいには年相応な部分に大いに盛り上がって遊んだ。俺もマゼルも、多分初めての友達といえる相手だった。

 マゼルへの気持ちが、恋愛感情なのかと問われると少し悩んでしまうのだが、他とは違う、特別な感情だと言われればそうだと答えるしかない。
 この世界でひとり生き延びるために必死だった俺が、ようやく見つけた希望であり、背中を預けることができたのがマゼルだったのだ。

 記憶力だけでなく、周囲を観察して考え自分で答えを導き出すことができる知力と、勇者スキルを駆使した武力を持ったマゼルに、俺は深い安堵を覚えるようになった。
 ゲームの頃の印象どおり、主人公にふさわしいバランスの取れた万能型だ。これならきっとレベルを上げていけば魔物や魔族、魔王を倒せるに違いない。
 勇者という精神的支柱と、マゼルという親友を手に入れた俺は、少し気が緩んだんだと思う。
 起こりうるかもしれない未来に対して常に焦りを抱えていた俺の心を安定させてくれるマゼルが、見るたび癒されるその顔が、俺に告白している。その言葉は意外なほどまっすぐ俺の胸に飛び込んできた。

「今まで会った誰よりも好きなんだ、ヴェルナーのこと。
 君は貴族で、僕は平民なのは重々承知してる。でも、君しかいない。魔王が復活することがあれば、必ずそれを倒して君の隣に立つから……、恋人として僕と付き合って欲しい」

 真剣な目をして、緊張しているのか、ぎこちなく笑いながら俺の手を取って切々と訴えてくる。マゼルの言葉にあったように俺は貴族でしかも嫡子だ。
 だが、これから魔王討伐の勇者になるマゼルなら、釣り合いという意味では充分だ。男同士であること、俺が嫡子であることもマゼルが一緒なら多分吹っ飛ばせる。国としても自由意志で勇者が国内に留まってくれるなら歓迎されるだろう。

 ……何よりも、俺が、いまマゼルを必要としていた。

 たとえマゼルと恋人にならなくとも、そのまま親友として付き合っていくことはできたかもしれない。
 だけど俺はこのとき、俺だけに向かって差し出されたこの手を見送れなかった。たとえ未来で道が別れたとしても、それまでは俺が掴んでいたい。そう強く思った。
 正直、俺のどこがそんなに気に入ったのかは分からんが、この手は今俺にだけ差し出されている。それは事実だ。なら、いっときでもいいから、掴みたい。俺のものにしたい。
 そんな衝動に突き動かされて、口から勝手に承諾の言葉が飛び出てしまったのだ。

 マゼルと付き合うことを了承した後、やや頭が冷えた俺は公表するのを待ってくれとマゼルに頼んだ。
 実際この世界で男同士での交際とくれば、ないわけではないが少数派だ。しかも貴族家嫡子となると例が少ない。将来養子を取るにしても、俺が継ぐ継がないにしても周囲への根回しは必要だ。しかもマゼルは王家の紐付きだからな。そっちにも交渉が必要だろう。

 すぐに考え事をしてしまうのは俺の悪い癖でもあるが、本格的に考え込む前に唇に柔らかいものが触れ、思いの外近くにマゼルの体温を感じて我に返った。

「ふふっ……よろしくね、ヴェルナー」
「……ああ…………」

 親愛のキスに近い、さっと触れるだけのキスををしてすぐに離れたマゼルを見て、とりあえず考えるのは家に戻ってからにしようと思考を放り投げ、俺からもその真っ赤な頬にキスをした。

 後日、報告と根回しのために実家を訪れるとなぜかマゼルと付き合っていることが家族及び使用人一同にバレており、頭を抱えた。
 半分呆れ顔で薄々知ってはいたという父と、あなたも好きな人ができたのですね、少し安心しましたという母の言葉に力が抜けた。

 こうして父母の協力の元、諸々の根回しと手続きが終わった頃には、俺とマゼルは婚約を交わしている状態になっていた。正直びっくりである。
 俺としては魔王討伐の旅もあるし、お付き合いしてますという報告だけの予定だったんだが、根回しのためには口約束より書面の方が使い勝手がいいということで、婚約のための書面が用意されて手際よくノルベルトが差し出した書面を読み、サインした。あれ?

 ついでに、さすがに婚約のことは公表はしていないが、学園の親しい友人には付き合っていることを伝えたら、皆して「今更……?」「ようやくか」「えっ、うそまだ付き合ってなかったの!?」とかぬかしやがったが、どういうことだ。

 マゼルとの付き合いは順調に進み、ときにはいちゃつき、大目に見られる程度の悪さをし、青春を謳歌していた俺たちは、とうとうゲームスタートとも言える魔物暴走を迎えた。
 事前の準備と訓練が噛み合い、魔物暴走をなんとか生き延びた俺はひと息着く間も無く国の内政事情に巻き込まれていく。
 学園と王宮を往復する忙しい日々の隙間を縫って、勇者パーティーのための準備を整えていく。
 武器や防具、旅の仲間、国内外の情報。勇者の旅立ちには俺のエゴも入っているから、せめて役に立ちそうなものはありったけ渡してやりたい。ゲームの王様なんて丸投げだったからな。

 まだ学園の寮にいるマゼルもだが、俺にまでハニートラップや貴族家からの接触が激しくなってきていて正直めんどくさい。婚約の書類は受理されているとはいえ、まだ公表していないし(勘のいいやつなら気づいているみたいだが)公表してないからこそ、まだいけると思われてマゼルの部屋に忍び込まれたりするのは御免だな、と思って、俺の部屋の鍵を渡した。

「ヴェルナー、これ……いいの?」
「ああ、遠慮なく使え」
「ありがとう……」

 できれば君がいる時に使いたいけど、と小声で鍵を握りしめながら呟いた声に、俺までちょっと照れるだろそんなの。
 男同士だし、お互い友達としての付き合いが多かったから、なんならキス止まりかなと思われた俺たちの交際だったが、しっかりとやることはやっていた。
 まさか俺が掘られることになるとは思わなかったが。
 まさかそれがやたら気持ちよくて一晩何回できるか頑張ってみるとか、2人きりになるたびに雰囲気出してはなだれ込むとか、そんな。
 ほんと、ハマると馬鹿になるなアレ。

 それはともかく、その後お互い忙しくて会う機会もなかなか無いまま、マゼルたちが安心して旅立つ目処が立った。立ってしまった。
 魔物暴走のフラグを無事突破した俺は、ずっと見ないふりをしていた問題をどうするか悩んでいた。シナリオがそのままだった場合に、近い未来に浮上してくる問題を思えば悩む暇は残されていない。

 ──俺はマゼルに婚約の一時解消をどう切り出すか悩んでいた。

 勇者パーティーには(予定とは少しタイミングがズレそうだが)本来のヒロインであるラウラが加入するはずだ。というか加入しなければ進めない箇所があるのでそこは何としてでも入ってもらわねばならない。

 今後もシナリオに沿った出来事が起こるのなら、旅の間にマゼルはラウラのことを好きになる可能性が高い。
 そりゃああんなに綺麗でまっすぐで高貴な生まれのはずなのに気さくで性格も良い子と一緒にいれば気持ちも動くだろう。
 だがそうなった時に、俺との婚約は邪魔になる……旅立ちの前に一度真っさらにしてから送り出すべきだと考えた。公表してない書面だけの婚約だし、解消して旅に出たマゼルの気持ちが変わらなければ、また戻ってきた時に話し合えば良い。
 魔物暴走を生き延びたことで生じたシナリオのズレのことは心配なのだが、シナリオ通りに進まれても困るのは俺だ。ていうかその場合王都襲撃でまた俺は死ぬからな。
 生き残ってやる、というのは俺の根本的な大目標だ。その上で流れが変わるなら、できる限り対応するしかない。
 もしかしたらマゼルがラウラとくっつくことはないのかもしれないが、念には念を入れておきたい。旅の最後まで、勇者パーティーにラウラは必要だ。

 ……マゼルは優しいから、きっと心変わりしたことに気づけば悩むだろう。

 しかしそれはあらかじめ決められたルートなんだ、しょうがない。そちらの方が優先なんだ。俺とのことを重荷に思うようなことはあってはならない。

 実際に旅に出たあとは俺とマゼルが会える回数はグッと減るだろう。ゲームのプレイ時は、王都が崩壊したせいもあるが、残されたアイテムやイベントもあまりなく、勇者パーティーはほとんど王都に寄り付かなかった。元のゲームシナリオに用意されてないなら、この世界でも王都崩壊以降のイベントはないと考えてもいいのではないか。

 後半に転移魔法を覚えてからはあちこち寄り道したが、覚えたのは確かラスボス前くらいだったはず。飛行靴もこの世界ではあまり数がないから、マゼルとは魔王討伐まで会えないことも予想される。
 たとえ戻ってきたとしても、王宮で報告してまたとんぼ返りになるんじゃないか?

 そんな中、あいつの近くにずっといるのはあのキラキラした気さくで美しいお姫様だ。きっと2人は気が合うだろうし、仲良くなるだろう。俺が嫉妬する隙間もないくらいお似合いの2人だ。

 俺は勇者パーティーの旅についていく実力はないモブだし、裏方で頑張ると決めたが、恋仲になってみれば心配ばかりが募ってくる。
 マゼルは無事に旅を続けられるだろうか。魔将や魔王と戦うなんて人間としては甚だ無茶な旅に送り出すのは不安でしかない。
 いい装備や役立つアイテムを探し出し、少しでも不安を取り除こうとしたが、ついていけない我が身を恨めしく思うだけだった。
 せめてあいつが行く先々で困らないように外国の情勢を探りつつ、帰ってこられる場所のひとつを守る。
 俺にできるのは基本それだけで、恋人としてできることはもっと少ない。
 大人しく家でマゼルの帰りを待つことも、今の仕事の振られ具合からすると難しいだろう。王太子殿下はなかなか人使いが荒そうだし、これから先の王都襲撃にもツェアフェルト家騎士団と駆り出されることになるはずだ。

 ふわふわとした学生同士の恋愛からの付き合いが、社会に出たあと現実に打ちのめされて破綻するパターンなんぞ、それこそ前世から見てきた。
 シナリオ的にはイレギュラーな俺たちの関係と、シナリオ上にある正規ルートなラウラとの関係なら、成立する可能性は後者の方が高いだろう。 
 まだまだ越えなければならない爆死フラグが残っていそうなこの時点で、選ぶならどちらだ、という話なのだ。

 そこまで考えて、また一つ重いため息をついた俺は婚約書類を確認し始めた。ためらっている間にも俺にどんどん仕事が振られていくし、マゼルたちの出発も多分目前だ。

「なんて言えばいいんだろうなあ……」

 まず、婚約破棄をするためには手続きが諸々ある。学生のうちならまだそこまで大事にはならないはずだが、家と家との契約でもあるのでそれなりにルールが決まっている。

 俺とマゼルは貴族と平民で、今回の婚約はうちの伯爵家とハルティング家の契約として扱われている。
 なのでそこはある意味簡単だ。うち、つまり貴族から破棄する形で書類を作ればいい。平民相手の場合、貴族側が手切金的なものを一方的に渡すことが多いが、そこは手厚くしておこう。
 ただ、今のマゼルには王家のバックアップがついているので、そちらにも書類を送らねばならない。陛下のところまで届くので、これに関しては典礼大臣である親父に根回しを頼むしかない。
 基本的に王族が貴族の結婚に口を挟むことはないのだが、今回は特例だからな。

「はあ……気が重い」

 いい加減マゼルに話をしなくてはならないだろう。父にはすでに話し、書類はすべて用意して、時間のかかる王族への書類は先に提出してある。

 父にもなぜだと問われたが、この先マゼル達が他国を回る時に、ヴァイン王国のいち貴族である俺と婚約していることが不利に働く可能性もある。書類上は破棄しておき、戻ってきたら再度婚約すればいいと答えると、しばらく思考したあと
「わかった、旅立ちまで時間もないな。まずは時間のかかる書類を回そう。だが、婚約しているのはおまえたちだということを忘れずにマゼル君といまいちどよく話し合うように」
 と告げられた。マゼルに無断で動いていたのもバレていたようだ。
 俺は小さく息をついて、わかりましたと返事を返し父の部屋を辞した。

「君との婚約を解消!? なんで!? したくない!!
 僕はこれから魔王討伐の旅に出るのに……! 婚約解消なんかしたら……君と離れてる間にあっという間に君を誰かに取られるじゃないか……!!」

 荒れた。大いに荒れた。

 予想はしていたので、寮にある俺の部屋で話をした。高位貴族用の部屋は壁も厚く、隣の部屋の物音はほぼ聞こえない。今の俺はこの部屋は基本的に使っていないので、今日は実家から来てもらった使用人にある程度部屋を整えさせた。使用人はお茶の用意をしてからそのまま屋敷に戻ってもらったし、外に漏れるとやばい話をするにはうってつけだ。

「そんな物好きお前以外にいねえよ。俺が取られるとかは置いといてだな、じゃあ公表しなければいい。書類の手続きだけ済ませて、仲間内だけに知らせておけばよくないか?
 もしお前さんが世界中を回ってる時に、俺というか、貴族の男と婚約してることが不利にでもなったらやりきれない」
「ヴェルナーがそう言うなら、そんな事態も起こるのかもしれない、けど……!
 でも、僕は、嫌だよ! 君との将来をそんなかたちで反故にされたくない……!!」

 それでも声を抑え気味にしながら話していたが、そのせいで掠れてしまったマゼルの声が、一層悲痛に響いた。

「魔王討伐の旅が終わったら改めて仕切り直せばいいだろう? 今すぐ別れるっていうわけじゃない……、っ」

 俯いてしまった背中をそっと撫でて抱きしめてやろうとしたら、逆に手を取られて、腰掛けていたベッドに押さえ込まれてしまった。おまえさん、また力が強くなってないか?とか軽口を叩ける雰囲気でもない。
 俺は小さく息をついて、腹に力を入れ直した。
 その音と気配で、マゼルの肩がビクリと揺れ、押さえた手に力が入る。

 まあここら辺までは予想していた。セックスで発散することができるなら、ある程度荒っぽいのも許容する腹づもりで来ている。とはいえ痛いのは嫌だな……なんて呑気に思っていたら。

「ヴェルナー、僕のことが嫌いになったの……?」

 ぽつり、と何かが溢れたような声と、ぼたぼたっと顔に落ちてきたなまぬるい雫。
 
 ……これは予想外だ。

 マゼルは喜怒哀楽が分かりやすいが、その実メンタルは至極安定していて、ある意味同年代よりも大人である。
 だから、まさか泣かれるとは思わなかった。慌てた俺はすぐさま涙を拭おうとしたが、腕は押さえつけられてびくともしない。

「ち、違う! そんなことはない……ただ、俺が不安で、先回りして考えてるだけで」

 ああくそ、まさか将来的にラウラとくっつくことになるだろうから、とは言いづらい。そのシナリオは俺しか知らないし、現時点では何の保証もないのだ。
 だが、可能性の高いひとつの未来予測でもある。

「……そんなことになった場合の対処は、国と相談するよ。
 旅の間も、なるべく時間を見つけて帰ってくる。君のところに。だから……君との約束を続けさせて欲しい」

 ぎゅっと抱きしめられ、肩口に顔を押し付けくぐもったマゼルの涙声が骨に響く。

「……俺のことは心配するな、俺に言い寄ってくるやつなんて大抵ハニートラップだ。
 国外でおまえに何かあった時には、俺も国と一緒にできる限り支援する。お前の旅に余計な横槍は入れさせない」
「……すこし、考えさせて」
「わかった。でもあまり時間がないかも」

 王族の方に書類が回っちゃってるんだよなあ。
 ぐずぐずと泣いたマゼルは、そのまま寝てしまった。抱きつかれたまま眠られるとそれはそれで困るんだが。
 はあ……。ある程度交渉が済んで発散したらひさびさに普通に恋人らしいことができるかな、なんてちょっとだけ期待してたんだけどなあ。泣かせてしまった。別れ話というほどではないと思っていた俺の認識が甘かったかな。

 サラサラの髪の毛を優しく梳いてやると、少しだけ力が抜けて重くなる。
 叙爵後からにわかに忙しくなってきたからマゼルと会う暇も本当に無くて、俺は俺で干からびそうだった。残り少ない時間で、マゼルのことをたくさん堪能しておきたいんだがその時間すら捻出しきれない。
 マゼルの髪の毛からふわりと漂う香りがいつも嗅いでるもので安心したところで、そこそこ睡眠不足の俺も意識を飛ばした。

「忌憚のない意見でいえば、卿らの婚姻はこの国にとって余計な混乱を避けるという意味では大変都合がいい。お互い以外の者を娶る気がないならば、次代以降の勇者と伯爵の血筋を巡って無駄な争いが起こる率が格段に低くなる」

 勇者が一代限りのものであれば、国として御するのも簡単になるということか。それはそうだろうな。
 平民からも人気があり、単体で圧倒的な武力を備えた勇者が国を獲ろうと思えばわりと簡単にできるだろう。権力に群がる有象無象が勇者の子孫を利用することも、当然考えられる。
 そういえばゲームの時は王族が全滅したから勇者が即位したんだもんな。その治世が安定したかは謎だが、即位するだけならなんとでもなる。
 そんな少し冷めた感想を抱きつつも、目の前で為政者オーラをガンガンに放っている王太子殿下の圧がすごい。潰れそうなのでちょっと抑えてもらっても良いですかね!?

 俺とマゼルは、先日の大荒れの話し合いの数日後に王宮に呼び出しを食らっていた。もちろん、俺たちの婚約に関することである。お手数をおかけして大変申し訳ありません……。

「お互い想いあっているものを無理に引き剥がすのは遺恨が残るのでやめておいた方がいいと、古来から伝わってもいる。
 ヴェルナー卿が婚約破棄を望む理由は、卿らにとってあまりにも利が少ないように思うが?」
「それは……」

 隣でマゼルがこくこくと頷く。
 ゆったりしたソファに並んで腰掛けた俺たちは目の前の紅茶に手をつける余裕もなく、やや前のめりに殿下のお話をうかがっている。シンプルだが優美な曲線を描くテーブルの上には数枚の書類。
 婚約破棄のための書類が陛下のところまで辿り着く前に、まず王太子殿下のところで引っ掛かっているのだ。

「諸外国での文化の違いに不安はあるだろうが、政治的にそこを突いてくる輩がいるのなら対応するのは国の仕事でもある。
 それに卿は……婚約者殿の心変わりも加味して憂いているのだろうが、それこそ信じてやるべき箇所なのではないか?」

 痛いところを突かれた。ぐう、と一瞬止まってしまったのを察して、横から不穏な気配が漂ってきた。

「ヴェルナー……? 心変わりって、なに? 僕のことを信用してないの?」
「いや、マゼル待て、その話は」

 王太子殿下は心なしかニヤニヤしている!
 俺の胃がじわじわといたむ!

 結局、痴話喧嘩みたいなやりとりを殿下の眼前で繰り広げてしまい、重ねて申し訳ありませんでした……。「やはり2人でよく話し合う必要があろう」と殿下が締められて、俺たちは王宮から解放された。

 しかし話しながら気づいてしまったのだが、マゼルがラウラと恋仲になっていない現時点で俺とマゼルが付き合えば、王家の損失的にはゼロなのだ。
 俺とマゼルの婚約は、今後ラウラが勇者パーティーに加入した際には大変都合のいい虫除けにもなる。
 表面では勇者と聖女の恋物語があると見せかけ国外での余計な虫を追い払い、実際には勇者は既に国内貴族と婚約済みとなれば、王家はラウラという強カードを温存できる上に、その嫁ぎ先を外交カードとして切ることもできる。
 そして俺というかなり弱っちい駒で、最強の勇者を落とせるのだ。そりゃあちょっとどころか大変お得だな……と遠い目をしていたら、隣でマゼルが俯いていた顔を上げた。

「ヴェルナー、僕ちょっとやることが出来たから、寮に戻るね。話し合いはちょっと日を改めよう」
「あ、ああ……わかった」
「じゃあ」

 そう言ってマゼルは王宮の門の方へ走っていってしまった。その背中を見送って、少しぼんやりしてしまう。

 俺はどうしよう。一応王宮の執務室に戻って積んである書類確認してくるか……。ハア、とため息が出る。
 1人になってやることが仕事しかないなんてどういうことだよ……。

 翌日、学園に行ったもののマゼルとは授業が被らず、本人からの連絡もないので緊張しながら一度学生寮に顔を出してみたら、寮にいたそこそこの数の友人から「ハルティングと別れ話したってほんとか?」と聞かれた。

 は?なんでお前らがそのこと知ってるんだ?
 いや、交際したことを告げたやつらばかりではあったが。あと一応別れ話ではない。

 タイミングが悪かったのか、マゼルは外出していて会えなかった。俺はこの後王宮に呼ばれているのでもう行かなきゃならない。あとでフレンセンに手紙でも渡して返事もらうしかないか。

「ヴェルナー、お話があります。食後にわたくしの部屋に来なさい」
「はっ……はい…………」

 ついに来たか、と俺は震えた。
 母からの呼び出しである。父とは書類の根回しの関係もあって早々に婚約破棄の件を伝えたが、母にはまだ直接話していなかった。ともすると父よりも厳しいところのある母なので、なるべく機を見ていたというか、自分から行くには相当腰が重かったのは事実だ。
 意を決して母の部屋を訪れると、ノルベルトが部屋の隅に控えており、母付きのメイドさんたちもずらり。背中を冷や汗が伝う。
 こ……これは、もしや、公開説教の流れか?

「マゼル君と婚約を解消するという話を聞きましたが、本当ですか?」
「は、はい。今後のマゼル達の旅を考えて、不安要素を解消しておこうと思いまして……」
「それは、あなたが婚約者以外に心変わりをしたということかしら?」
「えっ、いやそういうことでは! ありません!」

 母の視線が痛い。これは本当に怒っている時の顔と声なので、ここで下手な回答をすれば俺は半泣きで謝り倒すまで許してはもらえない……。ゴクリと喉が鳴った。

「ならば、私と旦那様の前で言ったことばは偽りだったのですか。婚約するということは、相手を生涯の伴侶として迎え入れることへの覚悟ができたのだと思っていたからこそ、私も旦那様も受け入れたのですよ」
「いえ、婚約をした時も今も心は変わっておりません。今回の婚約破棄の件は、あくまでも書類上のことであって……」

 なるべく腹に力を入れ説明しているが、言葉の途中でギロリと睨まれる。
 ウッ、今のもダメですか!
 でも嘘をついたところで即バレるからなるべく正確に説明してるつもりなんだが!
 母の圧がつよいです!

「なぜあなたは、今ここで婚約を解消した場合の不利益をそこまで軽視しているのです?
 彼は今から魔王討伐の旅に向かうのでしょう? 本来なら婚約者が家を守り、彼が戻ってくる場所を守ると誓うくらいの場面ではないですか。それを、国外の不安要素程度で撤回するなど……相手の心の不安を考えたことはあるのですか!? 背中を守ってくれるものがいるからこそ、戦いに出て十全の力を発揮できるのですよ!?」

 そこからはもう怒涛の母の説教タイムでした。泣きそう。
 いや、言われていることは伯爵家を切り盛りしている女主人としても、既婚者としても本当にそうですよねとしか言いようのない正論で、俺が全面的に悪いので反論もしようがなく。
 俺がマゼルにしてしまったことの罪悪感に項垂れながら、チラリと視線をやったノルベルトやメイドさん達の目を見て、俺は唐突に「あっこれマゼルが外堀埋めてきやがったな……!?」と直感を得た。

「……お互いが納得できるよう、早めにきちんと話し合いの場を持ちなさい、いいですね? ヴェルナー」
「はい……」

 いや、ほんと……反省はしてるんだが、これどこまで埋められてるんだ??? 怖くなってきたぞ。

 ツェアフェルト家騎士団は、主家の若君から発生した屋敷内のピリピリした空気を感じながらも、沈黙を守っていた。

「坊ちゃんが学園の友達だってハルティングを連れて来た時は、ああ、娘を嫁に出す時ってこんななのかって思っちゃったもんな……」
「わからんがわかる」
「それでも、ヴェルナーさまががハルティングと年相応に笑ってんの見て、本当よかったなって……」
「わかる」
「でも嫁に出す気持ちだったんだよなぁ……」
「だよなあ……」
「だが、そこを乗り越えて、若い2人を祝福しようと思ってたんだぞ!?」
「なのに婚約解消だなんて……! しかも坊ちゃんから!?」
「ハルティングはまあ、確かに平民の若造だが、性格は良い方だし腕っぷしもかなり強くなるだろう、良物件だったぞ!?」
「ハルティングもあれ完全に坊ちゃんにメロメロだったろ」
「坊ちゃんもだよなあれ」
「まあ、やたら親身に世話焼いてたし距離も近くて……いい感じだと思ったんだがなあ……」
「ヴェルナーさま、たまに変な着眼点で動くことがあるよな……」
「ゔぇ、ヴェルナーさまにはまだ婚約なんて早いとか思ってないからな!?」
「でもちょっと安心しちゃった俺らがいるので、騎士団は沈黙!」
「おう!!」
「俺たちは坊ちゃんの味方だ!!」
「おう!!!!!」

 避けられてるのか?というくらいにマゼルと会えない。
 学園でかろうじて顔を合わせると思ったが、どうやら朝はぎりぎりに登校しているようで、かつ最近は授業が重ならないので遠くにいるのを見かけたりするだけだ。

 はあ……さびしいな。
 恋人との付き合いがこんなに人恋しくなるとは思わなかった。あいつが旅に出たら、俺はひとりでこの状況に慣れることができるんだろうか。いや、慣れなきゃいけないんだよな。マゼルはラウラとくっつくのが一番いいんだし……。
 俺は相変わらず学園と王宮と実家を往復し、マゼルは空き時間はあちこちに外出していたので、数日かかってようやくマゼルを捕まえて寮の俺の部屋に引っ張り込んだ。

 そしてお互い無言の睨み合いがしばし。痴話喧嘩再びかよ……。

 俺だってちゃんと話し合うつもりはあるんだぞ。ちょっと顎を引いて口がへの字になっているマゼルを前に、なるべくため息をつかないように気をつけながら、俺も必死に話の糸口を探していた。

「マゼル」
「いやだ。絶対婚約解消しないよ」
「落ち着けって、とりあえず」

 ぐるるると手負いの獣のように毛を逆立てて、それでも俺からは目を離さないマゼルに、どう説得したものか俺はちょっと途方に暮れる。
 こういう痴話喧嘩の対処法は俺の記憶の中にないんだよ、もうほんと、いっそ押し倒したらダメか?

「別れ話じゃないから……ちゃんと話をしよう」
「……でも君の意志は最初から変わらないじゃないか……」

 一歩俺が間を詰めると、マゼルが半歩下がる。
 
「どうしたら信じてくれるんだ」
「ヴェルナーが僕を信じてない話だよ?」

 うう……、そう、なるよなあ。
 入口を背にしていた俺は、気持ちを切り替えてソファに座ってマゼルを手招きした。警戒しながらもマゼルは寄ってきて、俺の隣に腰を下ろす。

「俺もこないだの話し合いから色々考えて……その、だいぶ無神経だったことをまず謝らせてくれ」
「……ヴェルナーは僕と婚約解消しても本当に変わらないって思ってたの?」
「……そりゃ、絶対変わらないってことはないと思ってるよ、今でも。でも、それは婚約してても同じことだろう? 人の心はその人のものだし。外側からどうこうできることじゃない。
 それに、俺たちをよく知らない奴からしたら書類上のことがすべてだったりする……そう思ったらとにかく一回まっさらにしたくて」

 少し開いた膝の上に、両肘を乗せて手を組む。
 隣からじっと見られている気配がする。俺はまっすぐ前を向いたまま。気まずくてそっちを見れない。

「わかった……そんなに僕のことが信用できないんなら、今すぐ結婚しよう」
「……は!?」

 思わずマゼルの方を振り向くと、真剣な顔でマゼルはこちらを見つめていた。
 その目が俺を捕まえると同時に、腕が伸びて俺の肩を捕まえる。

「簡単に解消できるような関係だから不安になるんでしょ? じゃあもう結婚しかないよ、結婚して、ちゃんと公表しよう?」
「ちょ、ちょっと待てマゼル」
「僕は君を一生裏切らないって、結婚で誓う。旅の間、絶対に目移りなんかしない。今だって君しか見てないんだよ」
「ま、マゼル……」

 勇者の圧がぶわっと俺を襲う。眩しい。強い。
 ちょっとくらくらとしながら、俺はなんとか両目を開けてマゼルに向き合おうとするが、マゼルの猛攻は終わっていなかった。

「君は僕のことをどう思ってる? 結婚は嫌?」
「ま、待ってくれ……話が飛躍しすぎて……」
「婚約だってそもそも結婚を前提にしてたじゃないか。飛躍しすぎてなんかいないよ」

 俺がさっきの返事に対して考えている間に、次々問いかけが来る。
 いや、結婚ってますます逃げ場がなくなるじゃねえか!
 婚約ならまだ両家内々の話だからと誤魔化せないこともないが、結婚となると教会もからんで公証書作成するから、もうほんとに滅多なことでは別れられないんだぞ!?

「マゼル……! そんな、ここで人生決めなくても」
「決めるよ。
 僕はヴェルナーをここで逃したら一生後悔するし、君にも僕を選んで欲しい。絶対ずっと、大事にするから。君とならできる」

 いつの間にか向き合っていたマゼルに、ぎゅっと手を握られる。
 ひゅ、と俺の喉がなった音がした。マゼルは強い意志を込めた目を逸らさない。

「俺は……、俺は、おまえと」

 それまで考えていた、シナリオのことやラウラのこと、実際に起こるだろう今後のイベントなんかの心算が全部ふっとぶ。
 俺は、この手を掴んだままでいいのか。約束を、していいのか。
 ああもうだめだ、こんなに嬉しいんじゃ、手放せない。

「マゼル、マゼル……好きだ、愛してる」
「僕もだよ、愛してるヴェルナー。僕とずっと一緒にいて」
「ん、結婚しよう……、おまえが旅に出てる間に不安にならないように、俺ちゃんと待ってるから」

 泣き顔を見られたくなくて、マゼルの肩口にぼすりと頭を載せる。
 マゼルはようやく力を抜いて、俺の髪にキスをしていた。

「あ、結婚証明書はもらってきたんだ。ちゃんと君のご両親とおうちの方々の了承もいただいたし、王太子殿下とラウラ殿下に証明書のサインももらってきたよ」
「え」
「そのせいでここのところ色んなところに行ってて、君にも会えなくて……ごめんね?」
「おまっ………………!!!」

 まじで外堀埋めてやがった!!
 涙も引っ込んだわ!!

「とりあえず、もう、キスさせろ」
「もちろん!!」

おしまい

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Home > たたうら | 文章 | 活字系 > 【マゼヴェル】うっかり婚約してしまい、魔物暴走が始まるまでに婚約破棄しようと頑張る話

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